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無題

ジェイコブ・ウィロウ刑事は、でかでかと〃この人殺しめ、死ね″と書かれたプラカードを
迂回し、〃罪人は悔い改めろ!″と記されたプラカードをよけた。聖書を振っているやつれ顔
の説教師を肩で押しのけ、服を汗まみれにして怒る太ったご婦人がたのあいだをどうにかすり
抜けた。裁判所の前に押し寄せている群集からようやく抜けだしたウィロウは、階段を一段抜
かしで駆けあがろうとしてつまずき、一段ずつにもどした。扉の横にある壺に煙草の吸い差し
を落とし、建物に入る。目指す法廷は二階。刑事はここでも階段を駆けあがっていき、あがり
めまいきった頃には目眩を感じていた。法廷に通じる廊下の角に目を凝らし、〃泣く女″に会わないことを祈った。

だが泣く女はいた’朝には日が昇るように当然と言うべきか。二十フィート離れた位置で、
大きさが信徒席ほどのオーク材のベンチに腰かけ、黒いドレスと黒いベール姿、膝に肘をつき、
両手に顔を埋めている。ウィロウは腹のあたりに罪悪感が固まっていく気がした。泣く女から
視線をそらした。


裁判所警備員のウィンデル・レーサムが、階段を昇りきったところにある折りたたみ式テー
ブルの奥に座っていた。大きな裁判用の検問所。レーサムは椅子をうしろに傾けて鹿狩りナイ
フで爪を切っていた。白い三日月がぴんと張った制服の腹のあたりに散らばっている。
「どうやら、いつものように遅刻したらしいな、ウィロウ刑事」レーサムはほとんど顔もあげ
ずに言った。「いますぐ入らんと、判決を聞きのがすぞ」

ウィロウは泣く女のほうへあごをしやくった。「あの女が去ることはないのか?」
またもや三日月が宙返りした。「今日で消えるだろうよ、ウィロウ。もう見るものはなくな
るんだからな」ウィロウは女が両手に顔を埋めたままでいてくれるように願い、つま先立ちで法廷へむかっ
た。泣く女に呼び起こされる感情が嫌でたまらなかった。もっとも、女が何者かさっぱりわか
っていなかったが。ある者は女がマーズデン・ヘクスキャンプの被害者の母親だと言い、ある
者は姉妹か叔母だと言った。だが本人に質問を投げても、何か同情の言葉をかけても、まるで
うるさい蜂にやるように追いはらわれるだけだった。

厚いベールをかぶったこの奇妙な女は、法廷の群集にはすぐさま目に見えない存在となった。
真鐡の壺、すなわち吸い殼であふれる灰皿と同じぐらいあたりまえになった。女は三週間の例
の公判中に一度も法廷に入らずに、大理石の柱のホールを、思いのままに嘆き悲しめる自宅の
居間と同一視したらしく、冒頭陳述から先週の有罪評決まで、ここですすり泣きをつづけた。
悲嘆に暮れているのだと考えた警備員たちは寛大なところを示し、泣く女に裁判所内を自由に
歩きまわらせ、判事の不在時には判事室で昼寝をとることを許した。
ウィロウは深呼吸をすると、底の固い頑丈な靴が許すかぎり軽い足取りで、法廷の扉を目指
して歩きはじめた。女の横にさしかかると、女が顔をあげてベールが歪んだ。このとき、初め
てウィロウは泣く女の顔を見た。その目に驚かされた。涙の跡はまったく見られず、不屈の意
志が表れた目だった。同じくらい驚いたのは、女が若いことだ。二十代初めのようだった。女
の視線を感じながら、罪悪感を法廷にもちこむような気分で扉へと歩きつづける。
彼はこの罪悪感をl夜明け前に抱くことが多いl自分はアラバマ州警察の刑事になって
まだ二年、知性で強化された悪辣な狂気を即解する経験が欠けていたのだと、正当化しようと
していた。州警察の忠犬たちとの衝突が思いだされる。アラバマ南部で一見脈絡なく起こって
いる恐怖には関連があり、州、郡、モビール市の各警察で連携した大々的な捜査が必要だと説
得しようとしたときのこと。あのときの説得が見事に失敗したように、罪悪感の正当化もうま
くいかなかった。ウィロウは夜明け前に汗を流し、裁判で毎日、性的な異様さと殺人の残忍さ
が暴かれるあいだもずっと同じ汗を流しつづけた。
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